看板 TheBigFly
作者 標題 [試譯] 長濱博史專訪
時間 2014年01月23日 Thu. PM 02:30:51
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「蟲師」が帰ってきた。漆原友紀による新作「日蝕む翳」が月刊アフタヌーン1月号、2月号(講談社)に前後篇で掲載され、1月4日には「日蝕む翳」が早くもアニメ化。1期のスタッフが再集結し、特別篇として1時間のスペシャルアニメを制作した。そして、4月からはついにアニメ2期「蟲師 続章」がスタートする。
「蟲師」回來了。漆原友紀的新作「蝕日之翳」將以前後篇的方式刊登在月刊AFTERNOON的一月號和二月號上,並且已於1月4日完成動畫化。動畫集結了1期的製作人員,制作了1小時的特別篇。此外,從4月開始,動畫2期「蟲師 続章」終於要登場了。
コミックナタリーではこれを記念し、長濱博史監督にインタビューを敢行。1期終了より約8年経ったいま、やっと動き出すアニメ「蟲師」についての並々ならぬ思いを語ってもらった。
為表紀念,COMIC NATALIE特地斗膽訪問了長濱博史導演。在距離1期完結大約8年的現在,請導演為我們說說對於終於開始進行的「蟲師」動畫的不凡想法。
──まずはアニメ「蟲師」2期の制作が決定した時のご感想を聞かせて下さい。
──首先請談談決定製作「蟲師」2期動畫時的感想。
「やっとか!」って感じですね。やっと決まったと。
「終於啊!」的感覺吧。終於決定了呢。
──約8年ぶりですからね。
──過了將近8年呢。
本当は1期が終わってすぐに続きがやりたかったんです。漆原(友紀)さんとも「続きやりたいです」って話をしていたし、アフタヌーン編集部も「1期のスタッフで作ってくれるなら、全面的にお任せします」と言ってくれたので。でもそう言ってる間に、8年も経ってしまいましたからね。もしほかに2期を作りたいという人が出てきたらどうしよう、みたいな話もしてたんですけど、アフタヌーン編集部に「それはないない(笑)」と笑われまして。「あなたたちがやらない限りは2期は動かないから」と。
其實在1期結束的時候就想要作續篇了。除了漆原小姐曾表達過「想要繼續做下去」之外,AFTERNOON編輯部也說過「如果是1期班底的話,那就全部交給你們了」。但是說歸說,一轉眼8年就過了。雖然也聊過「萬一有人跳出來說想要作2期的話該怎麼辦」之類的話題,結果被AFTERNOON的編輯部笑說「怎麼可能(笑)」。還說「你們不來搞的話就不會有2期啦」。
──それは1期のハードルが高すぎて?
──是因為1期的障礙太高了嗎?
そうですね(笑)。「1期を観て『俺ならもっとうまくやる』って人がいるってことでしょ? そんな人出てこないよ」って。ありがたいことです。
怎麼說呢(笑)。他們說「你是指看了1期之後覺得『如果交給我來作會作得更好』的人吧?那樣的人沒有出現啦。」真是謝天謝地。──2期の話が上がったのは何がきっかけだったんでしょうか。
──2期的提出有什麼契機嗎?
アニプレックスのプロデューサーの岩上(敦宏)さんから、突然ポンッと話が来て。僕が「1期と同じことをやりますよ。2期だからって『もっとダイナミックに』とか『もっとCGを使って』って言われても出来ませんよ」と聞いたら、「むしろ同じことをやってほしい。同じスタッフで同じことを同じように納得いくまでやってくれればいいです」と言ってくださったので、じゃあやりましょうと。
是Aniplex的製作人岩上(敦宏)先生突然提出來的。我問他「我會作出和1期一樣的作品喔。就算叫我要因為是2期所以要『多一些動態』或『用更多CG』之類的,我也不幹喔?」他回我「我反而希望你作出一樣的成品。以相同的班底用同樣要徹底作到好的精神作出相同的作品就可以了。」好吧那就來作吧。
──2期に先駆けて、1月に特別篇の「日蝕む翳」がオンエアされました。この作品はどういった位置づけだったのでしょうか?
──搶在2期之前,特別篇「日蝕之翳」於1月先行播放了。請問這個作品的定位是?
2期に向けてベストな環境を整えるための準備、と言いますか。8年待ってくれたファンの人もそうだし、漆原さんもそうだし、もちろん自分たちも、待ちに待っていた2期なので、「蟲師」の新作がスタートすることには特別な意味があるんです。だからどういった形で見せていくべきか、そのタイミングをどこに定めるかは大事でした。
我會說是為了幫2期動畫整理出一個最佳環境所作的準備吧。不只是支持的觀眾,漆原小姐和我們本身也都等這2期等了8年,所以「蟲師」新作的開播具有特別的意義。正因如此,本作該以何種形式亮相、而時機又該怎麼訂是很重要的。
──慎重に、準備に準備を重ねていたんですね。
──你們很慎重,一直一直不斷地在準備呢。
はい。でもTVアニメって動き始めると止まらないんですよ。息つく暇もなくなるんです。だからスタートを慎重に決めたかった。講談社やアニプレックスともたくさん話をして。制作サイドとしては1月に放送する準備は出来ているけど、まず1月に1、2話だけ放送して「『蟲師』が帰ってきたぞ」っていう下地を作って、4月に新シリーズ開幕というのはどうか、とか。そしたら、ちょうどその話を進めている時期に、実は漆原さんが「蟲師」の新作を描かれていることがわかって。
是的。但是電視動畫這種東西一旦開始進行後就停不下來了。連喘口氣的空閒都沒有。所以希望在開始時慎重其事。我們和講談社以及Aniplex的人談了很多。雖然製作方在1月就做好播放的準備了,我們討論過能不能先在1月播放1、2話,打下「『蟲師』已經回來囉」這樣的基底,然後再在4月讓新系列正式開幕之類的。就在我們進行這樣的討論時,剛好聽到漆原小姐在畫「蟲師」新作的消息。
──それが「日蝕む翳」と。
──那就是「蝕日之翳」。
そうなんです。特別にネームを読ませてもらって、これは素晴らしいと。まず新年一発目に「日蝕む翳」を1時間の特別篇として放送したら、きっと2期に向けて良いベースが出来ると思ったんです。すぐに「作りたいです」とお願いをして。
沒錯。我特別借了分鏡草稿來看,覺得真是太棒了。如果新年第一炮就以「日蝕む翳」作1小時的特別篇播放的話,我覺得一定能為2期打造一個良好的基礎。於是我就馬上提出「我想作」的請求。
──でもその時点ではまだマンガは完成してないんですよね?
──但在那個時間點漫畫根本就還沒有完成吧?
そうですね、まだネームの段階だったので、「ネームを元にアニメーションを作っていきましょう」と言いました。編集部や漆原さんは「そんなことが可能なんですか?」って仰ってましたけど(笑)。
是呀,因為還在分鏡草稿的階段,我說「就以草稿為基礎來進行動畫製作吧」。編輯部和漆原小姐都說「這種事可能嗎?」(笑)。──その話があがったのはいつ頃なんでしょうか。
──這是什麼時候的事呢?
7月か8月くらいですかね。オンエアまで半年切ってて、しかも1時間ものってなると、さすがに無茶だよなとも思ったんですけど、総作画監督の馬越(嘉彦)さんやスタッフに話をしたら、「ムリ」っていう人は1人もいなかったです。
大概是7月或8月左右吧。距播出只剩半年,而且還是一個小時的節目,我想說會不會還是有點勉強啊,就與總作畫監督馬越(嘉彦)先生以及工作人員商量了一下,結果沒有任何一個人認為辦不到。
──でも普段のアニメ制作とはやり方が違いますよね?
──但是這和一般的動畫製作很不一樣吧?
そうですね。こちらがアニメを作っているときに、漆原さんもペン入れを進めている状況でしたので、上がった原稿を見せてもらいながら、細かく補正していくという、ほぼ同時進行。セリフも絵コンテの段階と本番では当然違ってくるので、アフレコのときにやっとセリフが完成するような状況でした。あと、いつもの「蟲師」のやり方だと、絵コンテで描ききれないわかりづらい構図は原作を参照してくださいという指示でOKだったんですよ。でもそれが今回は出来なかったので、その点は苦労しました。
是呀。在我們製作動畫時,漆原小姐則進行上墨線的工作,所以我們必須一邊看著剛完成的原稿,一邊進行細部的修正,幾乎是同時進行。台詞方面,正式稿當然也和分鏡稿有所出入,是在最後配音時才終於完成。還有,如果照以往「蟲師」的作法,我可以指示「若遇到分鏡裡沒畫完而很難看懂的構圖的話就去參考原作」。但是這次沒辦法,這點讓我們吃了不少苦頭。
──そこまで同時進行だと、共同制作のオリジナルアニメのようなものですよね。
──同時進行得這麼徹底,就像是共同製作的原創動畫一樣呢。
いえ、今回はちゃんと漆原さんの原作があるので。実は1期のときから、いつかはオリジナルをやりたいねって、みんなで話はしてるんですけど。実現できたらうれしいですね。
沒有,這次還是有漆原小姐的原作。其實在1期的時候,大家就曾經聊過以後想要搞個原創。如果能實現的話就太好了呢。──久しぶりに制作された「蟲師」はどうでしたか?
──相隔許久再度製作「蟲師」,你覺得如何呢?
うーん、ある種のリハビリだったかな……と(笑)。
嗯,有點像是某種復健吧……(笑)
──リハビリ、ですか?
──復健嗎?
8年経ってみんな年を取ったんですよね。しかもその間、それぞれが別の作品を経てきてる。だから、まずは「蟲師」をどうやって作っていたかを思い出すところからのスタートでした。自分が8年前と同じ身体感覚を持っているのか、果たしていまの自分が「蟲師」を表現出来るのかを「日蝕む翳」で試したというか。でも、もちろん肩慣らしみたいな軽い気持ちではやってないです。「今回失敗しても、次で挽回すればいいや」とは誰も思ってない。カンを取り戻すために、とにかく全力で1回走ってみますか、みたいな感じ。
過了8年的時間大家都變老了呢。而且在這段時間中,大家也都分別經歷了其他的作品。所以,首先要去回想當初到底是怎麼把「蟲師」給作出來的。我用「日蝕む翳」來測試自己是否和8年前擁有一樣的身體感覺,還有到底能不能把「蟲師」給表現出來。但是當然不是以活動筋骨這種隨便的態度來製作的。沒有人認為「就算這次失敗了,下次也能夠挽回」。為了找回過去的感覺,總之先全力跑個一次看看吧,大概是這樣的感覺。
──なるほど。8年間の空白を取り戻す作業だったんですね。
──原來如此。這是一件找回8年間空白的作業呢。
そうですね。だから「日蝕む翳」ができたときは「やったー! できたー!」って感じじゃないんです。逆に気持ちが引き締まったというか。「ちょっと新シリーズ頑張るわ、気合い入れ直すわ」っていう(笑)。いろんな課題が見えましたからね。納得できなかった部分もあるし、自分で思っていた以上に出来た部分もあったし。終わってまずしたことは、反省会。みんなで今回の出来について本音をぶつけ合いました。
是的。因此當「日蝕む翳」完成時並沒有「太好了!完成啦!」這樣的感覺。反而覺得心情相當緊繃。「新系列要稍微加把勁,要戰戰兢兢一點」(笑)。這次看見了許多課題呢。有不能接受的部份,也有做得比我預期還要好的部份。結束後所做的第一件事情就是開檢討會。大家一起針對這次的成品說說各自真心的想法。
──8年ぶりの作業で、何か変化はありましたか?
──重回睽違8年的作業,有什麼變化嗎?
もちろんありましたよ。8年で全く変化してない人間がいたとしたら、すごいですよ(笑)。よく思うんですけど、僕達ってパーソナルなエスカレーターに乗っているようなものなんですよね。時間はどんどん流れていくから、いつの間にか階数が上がってきちゃう。でもエスカレーターを逆走するワケにはいかないから、上から「前にやってたのあそこだよね」って下を見て、あのとき自分が何考えてたのか、何故そう思ったか、過去の自分と話し合いをしている感じです。で、その思い出す作業で僕達が一番頼るべき存在が、やっぱり原作なんですよね。
當然有囉。如果有人經過8年卻完全沒有變化的話,那也太強了吧(笑)。我常在想,我們每個人就像是在搭個人用電扶梯一樣。因為時間慢慢在流動,不知不覺間階數就會升上去。但是電扶梯不能倒著走,所以我們只能從上層看著下層說「我之前做過的東西在那邊」,就像是在和過去的自己討論「當時自己在想些什麼,為什麼會這樣想」一樣。在進行那樣的回想工作時,我們最應該倚靠的果然還是原作呢。
──なるほど。
──原來如此。
原作を読むと、あの頃にバッと戻るんですよ。原作はこういう絵だけど、アニメではこう変えたんだった、とか一気に思い出せるんです。原作のおかげで、1期が終わったときの自分と今の自分を直結させることができましたね。
只要一讀原作,就能立刻回到當時的情境喔。能夠一口氣回想起來「在原作是這樣的圖,在動畫版變成這樣了啊」之類的事情。多虧了原作,讓我能夠和1期剛完結時的自己直接連結在一起。
──スタッフの方々にはどんな指示をされたんでしょうか。
──對諸工作人員下了怎樣的指示呢?
スタッフにもそのまま「あの当時に戻って、同じことをやってほしい」とお願いしました。もちろん変わってしまうものはありますよ。例えば声優さんが8年前と全く同じ声が出せないのは仕方がないことだし、アニメーターだって8年経っていれば絵も変わる。子供が生まれた人は子供に対する考えが芽生えるし、親御さんを亡くした人がいれば、親が死ぬ話に反応してしまうことはある。それは当然です。でも、せめて取り組み方、我々作り手側のスタンスは同じものでありたい。「蟲師」を表現する上で、前と比べてあまりにも違うっていうことはやりたくない。
我請求工作人員「希望能回到當時,作出一樣的作品」。當然也是有不同之處啦。例如說配音員無法發出和8年前一樣的聲音這也是沒辦法的事,動畫師經過8年後圖也變得不一樣了。生了小孩的人就會對小孩子萌生一些想法,經歷親人過世的人則會對親人死亡有所反應。這是理所當然的。但是,至少在進行的方式上,我希望我們製作者方能有相同的立場。在表現「蟲師」上,我不希望和以往有太多的不同。
──パワーアップさせよう!みたいな思いはなかったですか。
──不會有想要讓它變成加強版之類的想法嗎?
僕は「蟲師」のファンなので思うんですが、大好きな作品が8年ぶりに帰ってきて、全く新しい作品になってしまうのは寂しいんですよね。いくらパワーアップと言われても。僕が子供の頃、「マジンガーZ」っていうロボットアニメが大好きだったんですけど、続編で、グレートマジンガーっていうパワーアップした新しいロボットが出てきて。それがものすごく嫌だったんです。なんかトゲとかいっぱいつけて、そんなので子供が喜ぶと思ったら大間違いだぞ!って(笑)。
以我一個「蟲師」愛好者來說,喜歡的作品睽違8年終於回來,結果卻變成全新作品的話會感到有點寂寞呢。不管最後變得多強都一樣。我小時候很喜歡一個叫「無敵鐵金剛」(マジンガーZ)的機器人動畫,不過在續集卻變成叫作金剛大魔神(グレートマジンガー)的加強版全新機器人。我對那種改變很感冒。你們以為只要加了一大堆刺之類的東西小孩就會喜歡嗎,真是大錯特錯!(笑)
──派手にすればいいってもんじゃないと。
──並不是只要華麗就是好呢。
もしギンコのディテールが増えて、なんか細かいリアクションがいっぱい入って、タバコを吸うとファーって先端が光ったりとか、常に光がバーって出てる映像を見たいか?って言われたら、自分は見たくないです。変わらないギンコが見たい。
如果去增加銀子的細節,放入很多細微的反應,像是吸菸時菸的前端亮起,總是發著光之類的,如果問我會不會想看這樣的影像,我自己是不太想看的。我想看的是和以前一樣的銀子。
──変わらないために特に心がけたことはありますか?
──有為了保持不變而特別留心的地方嗎?
やっぱり経験はそのまま残るから、当時に戻そうとしても、どうしても歪みみたいなものがあって。それを戒めるのには苦労しました。作業を簡略化しようとしてしまうというか、その知恵を得てしまったというか。これまでの仕事で培ったことを、無意識に適用しようとしてしまうんですね。でも「蟲師」はその枠に当てはめちゃダメなんです。
因為經驗會保留的關係,就算想著要回到當時,也還是會有想要去試著改變的部分。為了不犯這樣的錯讓我費了不少勁。該說是會想要把作業給簡略化呢,還是該說是了解到了簡略化的訣竅呢。總會在無意識中去運用在以前的工作中所培養起來的東西。但是在「蟲師」裡套用這種框架是絕對行不通的。
──でも技術的な部分では、昔は出来なかったけど今なら出来る、っていうこともありますよね?
──但就技術部分來說,也會有「以前辦不到的事情現在作得到」的狀況吧?
もちろんありますよ。例えばレンダリングという作業では、蟲が何万匹もいるような場面だと重くて処理に時間がかかるんです。だから8年前は失敗した時にやり直しが効かないことが多かった。でも今回は余裕なんですよ。もうマシンのスペックが全然違いますから。
當然有囉。例如說在渲染(Rendering)作業上,如果在一個場面中出現幾萬隻蟲的話,渲染就會變得很慢,花上許多時間。所以8年前常有一旦失敗就無法重來一次的情形。但是現在就沒這問題了。畢竟機器的規格完全不一樣。
──技術的には作りやすくなった部分もあると。
──也就是說有在技術上變得容易的部分呢。
そうですね。ただそれって効率化でしかないんですよね。それに、ソフトやツールが進化しても、思考プロセスは効率化できなかった。もっと上手くやれるかなって思ってたんですけど、8年前と同じでした(笑)。
是的。但那畢竟只是效率化而已。此外,就算軟體和工具進化了,思考的程序卻不能夠效率化。原本還想說是不是比以前作得更好了,結果卻和8年前一樣(笑)。
──「思考プロセス」というのは具体的にはどういうことですか?
──具體來說「思考程序」是怎樣的東西呢?
「蟲師」ではどんなシーンや会話でも、もっと言うと絵1枚でも、すべてに意味が存在します。それを忘れると、ただ原作をなぞってるだけになってしまう。マンガとアニメでは表現方法が違うので、映像にするには、まず漆原さんと同じ思考プロセスを踏まないといけないんです。漆原さんが何故ここで少年の顔を描いているのか、なぜここで森の背景を入れているかを考える。そうすると原作のコマ割りどおりでは、映像にすると伝わらないことが出てくる。漆原さんはリズム的にここアップを入れたけど、映像ではいらない、次のカットまで我慢してそこでアップを入れよう、こっちが重要だと。その作業を丁寧にやらなきゃダメなんです。そういった意味でも「蟲師」の作り方は変わってないなって思いますね。
在「蟲師」裡不論是怎樣的場景或對話,甚至每一張圖,都有它的意義存在。如果忘記這一點,就變成只是在照描原作而已。因為漫畫和動畫的表現方法有所不同的關係,如果要作成影像,首先必須要和漆原小姐踏在同樣的思考程序上,去思考為什麼漆原小姐會在這裡畫少年的臉、又為什麼要在這裡放個森林的背景等等。如果把原作的分格方法照樣搬來的話,在影像化時就難免會有無法傳達的東西。雖然漆原小姐很有節奏地加入特寫,但在影像化時並不需要,就忍耐到下一鏡再特寫吧,這邊比較重要。這些作業一定得要細心處理。即使在這樣的意義上,我想「蟲師」的製作方法也是沒有變的吧。
──きっと1期の時点で作り方が完成されてたんでしょうね。
──在1期的時候製作的方法一定就已經完成了吧
そうだといいんですけど。何か到達したものはあったんだと思います。
若是這樣就太好了。我想是有達成一些什麼吧。
──監督がマンガ原作でアニメを作る上で、大事にしていることはありますか?
──導演您在為漫畫原作製作動畫時,有特別重視的地方嗎?
まずはその原作をアニメにする意図や意味、ある種の勝算みたいなものが見つけられるか。アニメ制作には本当にたくさんの人が関わるので、「この作品なら絶対に大丈夫!」という確信がないまま作るのは、すごく危険なことです。
首先最重要的是在把原作改編成動畫的意圖或意義之中,能不能找出某種類似勝算的東西。因為製作一部動畫會牽涉到許多人,如果沒有「如果是這個作品的話絕對沒問題!」這樣的確信,是非常危險的事情。
──なるほど。
──原來如此。
それを見出せたら、次はスタッフに「このアニメはここを目指して下さい」というゴールを提示します。アニメはたくさんの人たちの頭と手を使って作品を作り上げていくものですが、それぞれの作業は単独作業。最終的に、みんなの作り上げたものが一緒になって完成します。だから、同じゴールを定めておかないと、合わせたときに「なんでこんなに合わないの?」と、当然なります。「サイケデリックな色味を目指してみました」っていう色彩設定の人と、「リアリティのある背景美術を描いてみました」っていう美術監督が描いたものを合わせても、やっぱりバラバラになるじゃないですか。
在找出那樣的勝算之後,接下來就是對製作人員指出一個「請以這個為目標製作這部動畫」這樣的終點。雖然製作一部動畫會用到許多人的手和頭腦,但是各項工作都是單獨作業。最終才會把大家完成的東西拼在一起完成作品。因此,如果不為大家訂下一個相同的終點,就一定會發生「怎麼這麼不合」的情形。就算把「目標是有迷幻味的色彩」的色彩設定,和「想試著畫出寫實的背景美術」的美術監督所畫的東西合起來,結果一定會四分五裂拼不起來。
──作品の方向性を定めておくのが、監督の仕事と。
──也就是說確定作品的方向性正是導演的工作呢。
目標を定めて、ポイントを示してナビゲートする。そうすると、ゴールに何があるか知らなくても、最終的にひとつの絵になったときに「これだ!」ってなるんです。
確定目標之後,指出重點並引領大家。如此一來,即使不知道在終點會有什麼,當最後所有的圖合而為一時就會有「就是這個!」的感覺。──では「蟲師」に関してはどういう“ゴール”で作られたのでしょうか。
──那麼請問您為「蟲師」這部作品設定了怎樣的「終點」呢?
僕は、「蟲師」はキャラクターが主役の世界ではないと思っています。ギンコそのものではなく、その周りを取り巻く世界が主役の作品だと。だからキャラクターに焦点を当てて、キャラクターだけを表現できれば済む作品ではないということは、何度も話しました。「蟲師」は、とにかく原作を読んで感じる空気感を損なわないアニメにしたかったんです。山奥の湿気とか、海の潮の香りとか、本来、映像やイラストでは伝わらないはずの感覚、原作に散りばめられた作品の世界観や空気感を構成する要素のひとつひとつを大事にしていこうと。安易にアニメの文法に落とし込まないでほしいと。
我認為啊,「蟲師」的主角不是登場的角色。主角並不是銀子,而是包圍著他的世界。所以蟲師不是一部把焦點放在角色上,想著只要把角色給成功表現出來就好了的作品,這我已經說過很多次了。我希望動畫版的「蟲師」不要減損在讀原作時所感覺到的空氣感。深山的溼氣、海潮的香味等影像和插圖本來應該無法表現的感覺,還有在原作裡四處散布的世界觀或空氣感等構成要素,我想一個一個用心地處理這些東西。我不希望輕易地落入動畫的文法之中。
──アニメの文法、ですか。
──動畫的文法嗎?
現実の動きとは違うけど、アニメだったらこの方がわかりやすいだろう、みたいな表現って結構あるんですよね。デフォルメするというか、記号的な表現というか。でも実際は、そういう既存のアニメの文法に落とし込まなくても、作れるはずなんですよ。中にはアニメの文法に則って作ったほうが良い作品もあると思うけど、「蟲師」は違うと思っていて。以前、「タッチ」の監督の杉井ギサブローさんと雑誌の対談でお会いしたときに、杉井さんに「『蟲師』はすごく良い作品だけど、油断しているとパターンになるので気をつけて」って言われたことがあって。
在動畫中有很多表現雖然和現實的動作不一樣,但是因為比較容易了解所以會使用。也可說是誇張的變形或是記號化的表現。但是即使不落入這種現有的動畫文法之中,其實也可以作得出東西來。雖然我覺得也有許多好作品是依循著動畫文法作出來的,但是「蟲師」不一樣。之前我在雜誌對談上與「鄰家女孩」(タッチ)的導演杉井儀三郎先生碰面時,他曾和我說「蟲師雖然是個好作品,但是要注意不要落入固定的套路中」。
──パターンになる、というと?
──落入固定套路的意思是?
何も考えずに、ここはパン(横方向にカメラを振って撮影すること)で、とか、ここはTU(カメラが被写体に近づいていくこと)で、というやり方ですね。演出の人にはよくある癖だと思うんですけど、絵がもたない、とかそういう曖昧な理由で動きを付けてしまう。でもその動きに意味を見出さない限り、むやみに動きをつけちゃいけないと思うんです。僕はもし「ここは何でパンアップなんですか?」って聞かれても、「このキャラのこういう心情を表現するためですよ」って、答えられるようにしてあります。
想也不想,就在這邊搖鏡(將攝影機橫向移動拍攝)、就在那邊TU(將攝影機靠近被攝物)之類的作法。我覺得擔任演出的人常會有這樣的毛病,隨便就以圖片撐不住之類的曖昧理由添加動態。但是我覺得不了解其背後的意義就胡亂增加動態是不行的。就算有人問我「為什麼要在這裡Pan up」,我也要能回答出「這是為了要將這個角色這樣的心情給表現出來」。
──すべての演出に意味があると。
──也就是說所有的演出都有意義。
はい。それにアニメーターだって、自分の描いている絵に意味がないと、ただ疲れるだけじゃないですか。だから意味をちゃんと説明することも大事ですね。あとは作り手が実感していること。「日蝕む翳」の大八車の場面は、現実感を持たせるために実際にみんなで大八車を引きに行きましたよ。実際に引いてみるとかなり重いんだけど、スピードに乗っかってくると、今度は止まるほうが大変なんだ、とか、発見も多いです。
是的。此外就算是動畫師,如果不知道自己正在畫的圖的意義,不就只是單純在累自己而已嗎。所以好好說明背後的意義也是很重要的。還有一點就是製作者要有實感。在「蝕日之翳」裡面有人力車(大八車)的場景,為了要有現實感,大家還真的去試著拉人力車喔。實際拉起來非常的重,而且在速度快起來之後,要停下來反而變得很難。我們發現了很多像這類的事情。
──やっぱり体感することで絵に現れるんですね。
──果然由體感所感受到的東西會表現在圖畫裡呢。
現れます。鉄砲を持ったことがない人には鉄砲の質感や重さが描けないですし、草履を履いてみると、草履を履いた足がどういう動きをしているのかまで表現できるようになる。体感しておくことはとても大事です。火が熱い、水が冷たいっていうのも、各々が実感しているから伝わるわけですから。
沒錯。像是沒拿過槍的人就畫不出槍的質感和重量,只要試著穿過草鞋,就能夠表現出穿著草鞋的腳是怎麼動的。要先有體感經驗是非常重要的。像火是熱的,水是冷的之類的事情,也都是要先有實際感受才能夠傳達。
──実感できる要素があれば、共感できると。
──若有能實際感受的要素,就可以有共鳴。
キャラへの感情移入とかよく言いますが、感情移入するしないは実は大きな問題ではなく、どちらかというと、キャラたちが直面している出来事だったり、彼らの手触りみたいなものを理解しているかどうかのほうが大切かなと。特に「蟲師」は、時代劇みたいな舞台背景に、コートとシャツに銀髪で片目の男が出てくる、という、完全フィクションの世界じゃないですか。その中に少しでも、我々の実生活との接点を持たせることは大事かなと思いますね。
雖然常有人提到對角色移入感情之類的事情,但其實感情有沒有移入並不是太大的問題,真要說的話,有沒有理解到角色們所直接面對的事情還有角色們的類似觸感之類的東西更重要。特別是「蟲師」,在像時代劇般的背景中,出現了穿著外套和襯衫的銀髮單眼男人,這不就表示這個世界並不是完全虛構的嗎?我認為要在那世界之中多少安排一些與我們現實生活的接點,這件事是很重要的。
──2期の構成表を拝見して気になったのですが、「蟲師」には各話ごとにテーマカラーがありますよね。これにはどんな意味があるのでしょうか?
──拜見過2期的構成表後,我注意到原來「蟲師」的每一話都有一個主題色呢。這有怎樣的意義呢?ギンコって劇的に変わらないキャラクターなんです。だいたい同じシャツに同じコートで、季節によってコートを着るか着ないかくらいじゃないかな。でも、ギンコは変わらなくても、「蟲師」の世界の舞台は毎回変わっていくじゃないですか。山間部もあれば南の海もある。それに各話で誰が主軸になるかというと、ギンコではない別のキャラクターです。そこで、各話の世界にギンコを馴染ませる手助けとして、テーマカラーというものを設けた感じですね。
銀子是一個相當戲劇化地不會改變的角色。他大致都穿著同樣的襯衫和外套,連順應季節去穿脫外套都不會。但是,雖然銀子是不變的,「蟲師」世界的舞台卻每次都不一樣。有山間地帶也有南邊海域。此外,每話擔任主軸的人物都不是銀子而是其他的角色。因此,為了幫助銀子融入每一話的世界,才特地設置了主題色。
──ギンコのある種の違和感というか存在感を、その話につなげる役割なんですね。
──是為了要把銀子身上的某種違和感或者該說是存在感和故事串接起來呢。
そうですね。例えば1期の4話「枕小路」のイメージカラーは「苅安(かりやす)色」っていう、黄色っぽい色なんですけど、画面全体にうすーく黄色い色味を混ぜているので、ギンコの髪の色が少しだけ黄色がかってる。この影の色の彩度をあげていくと真っ黄色になるんですよ。
是的。例如說1期的第4話「枕小路」的印象色是一種叫作「苅安色」的帶有黃色調的顏色,因為整個畫面都帶著一股很淡很淡的黃,銀子的頭髮也會稍微染上一點黃色。如果把這邊影子顏色的彩度提高的話,就會變成大黃色喔。
──確かに!すごいですね。
──真的耶!好厲害。
明確に「今回黄色の回だ」って認識しなくても、人間の脳はすごく優れているので、前の話のギンコとは違うってことはわかってくれるはずなんですよ。同じ服を着て同じ髪なんだけど、前とは違う。全話のギンコを並べてみたらわかると思います。同じように見えても、全部色が違いますよ。
就算沒有明確地認知到「這一回是黃色回」,但人類的大腦非常了不起,會自動覺得這和前一話的銀子是不同的。就算穿著同樣的衣服、留著一樣的髮型,但就是和之前不一樣。我想只要把每一話的銀子排在一起看就能夠了解。就算看起來是一樣的,但是其實顏色全都不一樣。
──なるほど。面白いですね。
──原來如此。真是有趣呢。
ギンコだけは全く変えず、周りの環境が変わっていくっていう見せ方もあったと思うんですけど、毎回違うものを提示していきたくて。そうすれば、ひとつひとつのエピソードが単体で成立するようになるんじゃないかと思うんです。5話から見て1話に戻ってもいい。僕はどこから読み始めても楽しめるのが原作の「蟲師」の魅力かなと思っていますので。
雖然我認為也有「讓銀子本身完全不變,只有周圍的環境在改變」這樣的表現方法,但我仍希望每一回都能顯示出差異來。如此一來,原本一篇一篇的故事不就變得能夠單獨成立了嗎。就算從第5話開始逆著看回第1話也沒問題。我想不論從哪裡開始讀起都能夠得到樂趣這一點正是「蟲師」原作的魅力吧。
──確かに、アニメの順番って原作の掲載順とは違いますが、全く違和感がありませんでした。
──確實,雖然動畫的順序和原作的刊登順序是不同的,但是完全沒有違和感。
原作の「蟲師」ってスケールの大きな話が続いたりすることがあるんですよ。最終回クラスのエピソードが2連続で来ちゃった!みたいな。あと内容的に悲しいお話が続くこともある。僕としては毎週楽しみにしている人たちに、「前回がバッドエンド、今回もバッドエンド、来週もまたバッドエンド……?」とはならないようにしたくて、順番を変えました。「蟲師」はそれをやっても全く問題がない作品ですしね。実は全話をシングルDVDみたいにして売れないだろうか、という話をしたことがあるんです。話数ではなく、「緑の座」「瞼の光」っていう感じで。
在「蟲師」的原作中,一些規模較大的故事有時會有續篇。像是最終回級別的故事連刊兩回這樣的感覺。此外有時內容比較哀傷的故事也會連續出現。對我來說,我不希望讓每週引頸期盼的人們有「前回是壞結局,這回也是壞結局,下回還是壞結局……?」這樣的感覺,所以調動了順序。對「蟲師」這部作品來說,就算這麼處理也完全不會有問題。其實我們曾經想過要不要把每一話都作成像是單篇DVD一樣的東西來賣。不用話數來分,而是「綠之座」「眼瞼之光」這樣的感覺。
──自分が好きな順番で見られるように?
──為了讓觀眾能以自己喜歡的順序來觀賞嗎?
そうです。自分が好きじゃない話は買わなくてもいい。みんなが自分の「蟲師」のラインナップが作れるくらいがちょうどいいなと。そういうことができたらいいですねって言ってたんです。だから劇伴も毎回変えたんです。
沒錯。不喜歡的故事不買也沒關係。讓大家能作出自己的「蟲師」陣容正合我意。我曾想過如果真的能實現就太好了。因此也讓每回的配樂都不一樣。──音楽もすごく素敵ですよね。とても印象に残ります。
──音樂部分也非常棒呢。很容易令人留下印象。
増田(俊郎)さんの音楽はすごいですよね。名作と言われるような映画には、テーマソングがアレンジ違いで映画中に散りばめられていて、全体を通して観た時にその曲が頭に残るような力があるじゃないですか。「蟲師」の音楽も同じように、曲を聴くと「ああ、これは○話だな」と思い出させる力があると思っています。
增田(俊郎)先生的音樂真的非常棒。被稱作名作的電影會把一個主題曲作不同的改編之後散布在各處,產生一股力量讓人在看完全篇電影之後曲子能留在腦海裡。我覺得「蟲師」的音樂也是一樣,有一股力量讓人只要一聽到曲子便能回想起「啊,這是第某話的音樂」。
──監督から「この話はこんなイメージの曲を」というような注文はあったんですか?
──是導演您特別要求「這一話請作出這種感覺的曲子」這樣嗎?
全くないです。「この話の曲を下さい」って増田さんに言うだけです。実は笑い話があって、淡幽が出てくる「筆の海」という作品があるのですが、この曲のCDが届いて聞いてみたら、なんか違和感があって。僕はどうしてもそれが淡幽の曲とは思えなくて、「これ本当に『筆の海』ですか?」って確認したんですよ。でも届いたCDには確かに「筆の海」って書いてある。でも「筆の海」じゃないと思う、って話をしていたら、増田さんから連絡が入って、さっき送ったCD間違ってましたって。
完全不是。我只有對增田先生說「請作這一話的曲子」而已。其實還曾發生過一件有趣的事,有一話叫「筆之海」的,裡面有淡幽出場,但是我聽了送過來的曲子的CD之後,總覺得有違和感。我無論如何都不覺得這是淡幽的曲子,就問「這個真的是『筆之海』嗎?」。可是送過來的CD上確實寫著「筆之海」啊。但我說我覺得不是「筆之海」,後來增田先生就連絡我說剛剛送過來的CD弄錯了。
──言い当てたんですね。
──說中了呢。
もうわかっちゃうんです。あの話の最後にこの曲が流れるわけないって。改めて届いたCDを聞いたら「ああ、これですこれです」って。ちょっと神がかってますよね(笑)。でも、それくらいみんな原作を読んでるんですよ。みんなの中心にあるのは原作なんです。
我就知道。在那一話的最後不可能播這樣的曲子。後來聽了新送過來的CD之後,我才說「啊啊,是這個啦,這個才對啦」。稍微有點神呢(笑)。但是,大家可都有像這般用心地去讀原作喔。畢竟存在於大家中心的是原作。
──原作に忠実に作ることへのこだわりがあっても、実際ここまでマンガを読んでいるのとアニメを見ているテンポが同じ感覚で見られるアニメってないと思うんですよ。
──雖然您有忠於原作的堅持,但是其實我覺得就算用心讀漫畫到這種程度,這部動畫在節奏上就是能讓它看起來有不同的感覺呢。ああ、うれしいですね。
啊啊,聽你這麼說我很高興。
──でもたくさんの人が関わるアニメという表現方法で、作り手全員がその感覚を共有して実行するのはかなり大変なのではないでしょうか。
──但是動畫這種表現方法牽涉到許多人,要讓製作者全員都有同樣的感覺是不是很辛苦呢?
僕は原作が好きで面白いと思って作っていれば、みんなの感覚はズレないと思っているんです。例えば同じものが好きな同士が集まると大概盛り上がれるじゃないですか。「あそこいいよね」「でもおれはあのシーンも好きだな」「ああ、確かにそこもいい」「わかるわかる」ってなるでしょ。それは、それぞれの見方は違うかもしれないけど、感じているものにはそんなに大きな差がないからなんじゃないかなと。
我覺得只要喜歡原作並且覺得有趣才去作的話,大家的感覺就不會偏差太多。就像是喜歡相同事物的同好集會一樣,大致上都能夠辦得很成功。會變成「那邊很棒耶」「但是我比較喜歡那個場景」「啊,那邊真的也很讚」「我懂我懂」這樣吧。雖然大家或許都有各自不同的看法,但是感受到的東西並沒有差那麼多。
──「好き」という感覚が共有できれば大丈夫、と。
──只要大家都能夠同樣有「喜歡」這樣的感覺就沒問題了吧。
僕は自分がアニメにする作品は絶対に好きになります。「蟲師」はそもそもが大好きなので、実はそんな苦労すらないんですよ。あと、僕には漆原さんっていう力強い味方がいたので。「このコンテ間違ってますか?」って聞いても、「何も間違ってないです。むしろセリフがないのによく表現出来ましたね」って言ってくれる。ああ、僕は間違ってないなって信じて作れます。
就我個人來說,我絕對會喜歡上自己改編的動畫作品。因為我原本就很喜歡「蟲師」的關係,其實也沒有那麼辛苦啦。此外,我還有漆原小姐這個強大的友軍啊。就算我問「這個分鏡有沒有弄錯?」她也會回我「完全沒有問題,不如說這部分在沒有台詞的情況下表現得非常好呢。」啊,那我就可以在確定我沒弄錯的情況下製作了。
──確かにそれは間違いないですね(笑)。
──那確實就是沒有弄錯了呢。(笑)
誰かに文句言われてもね、「漆原さんからこれでいいって言われたもん」って(笑)。
就算有誰來抱怨,我也可以回他「漆原小姐說這邊沒問題的」(笑)。
──では最後に、監督にとって蟲師とは何ですか?
──那麼在最後想請問導演,蟲師對您而言是什麼呢?
うーん、そうだなあ……。僕の「すべて」でしょうかね。何を作っていても「蟲師」が基準になっている。全部の中心に存在してます。監督をやり続ける限り、「蟲師」とともにありたい。スタートでもあるし、終わるのも「蟲師」で終わりたいですね。
嗯,我想想……。我想是我的「一切」吧。不論是作什麼,「蟲師」都會變成一個基準,位於全部的中心。只要我繼續作導演,就想與「蟲師」在一起。「蟲師」不但是一個起點,我也想以它作為結尾。
※ 篇名翻譯部分,「綠之座」「眼瞼之光」「筆之海」是參照東販出版的中文版漫畫,「蝕日之翳」則是自譯。
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※ 作者: tobiko 時間: 2014-01-23 14:30:51
※ 編輯: tobiko 時間: 2014-01-27 23:42:45
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